吃音:保護者ときょうだいへの支援、食物アレルギー:手探りでスタートした小学校生活

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2023.09.29

吃音:保護者ときょうだいへの支援、食物アレルギー:手探りでスタートした小学校生活

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■   連載:吃音:保護者ときょうだいへの支援
■□  連載:食物アレルギー:手探りでスタートした小学校生活
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■ 連載:吃音のある子どもの自己理解を育てていくための協働
             第3回 保護者ときょうだいへの支援
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〇保護者もまた支援を受ける対象
子育ては親の責務と言われますが、いかがでしょうか。わが子の成長に関与していくことは親の大きな喜びとして語られることがあります。そして、この喜びの中身は実に様々です。一方で、わが子の成長が他児と大きく違う場合や何らかの疾患によって治療を優先しないといけない制限された生活を強いられる場合には、親が眺める景色は違ってくるはずです。前向きに頑張ってきたこれまでの子育てが、ときとして黄色信号の点滅や赤信号へと変わってしまうことがあるでしょう。そんなとき、専門家は、子どもへ直接働きかけることに加えて保護者にどのように関わっていこうとするかが大変重要です。子どもと同様、保護者も支援を必要としているからです。

保護者の側に立った専門家による支援とはいったいどういったものなのでしょうか。まずは、職種の違いからくる専門性があります。母子保健や子育て支援に関する専門家-医療や福祉、教育、心理、法律等の専門家です。

母子保健や子育て支援の専門家は、子どもへの直接的な働きかけはもちろん、保護者にも直接関わります。そうした際の専門家の言動や態度は、子どもの成長に加えて保護者、とりわけ母親の心情に大きく影響を及ぼします。子どもが小さい場合や、子育てが初めてで不安を抱える保護者の場合、さらに、身近に支援者がいない場合等では、保護者が専門家を頼りにするのは当然のことです。専門家の力を借りながら子育てを前向きに進めていくことができ、子どもの成長を共に喜び合える、そうした支援者を保護者は期待しています。

ところが、そうではない真逆の関わり手となってしまう危険性があります。かつて自閉症(自閉スペクトラム症)は、親の愛情不足や冷たい態度等によって後天的に発症すると言われていた時代がありました。とくに母親にその責任の大半が押し付けられました。家族や周りの人達からの非難によって母親は孤立しました。こうした状況下でスポットが当てられたのが「親指導」と呼ばれる専門家による保護者への子育て指導・助言です。

専門家を訪ねてやってきた親子をプレイルームと呼ばれる遊具やおもちゃが置かれた部屋に招き、親子で自由に遊んでもらいます。自由といっても専門家が観察しているわけですから保護者はかなり緊張します。刺激的な遊具やおもちゃが多数ある空間ですから、保護者の声かけは子どもに届きにくくなることがあります。また、初めての場所に躊躇し、保護者から離れようとしない子どももいるでしょう。子どもの遊ぶ姿や保護者の関わり方を専門家は観察し、発達促進や親子の関係改善のための手立てとして様々な指導・助言を行ないます。

プレイルームでの親子の姿に加え、家での様子を聴取はされるでしょうが、「ここは、こう関わった方が良い」「こういう声かけをした方が良い」と専門家は保護者に指導・助言をします。何らかの指標や方法に則っての指導・助言ではあるのですが、専門家の説明の仕方や言い方も影響して、これまでの保護者の子育てを間違ったものとして感じ取らせ、反省を強いることがあります。そのことで罪悪感情にさいなまれながらも専門家に言われたとおり懸命に努力しようとする保護者の姿があります。子どもへの関わり方で良いところや頑張りを真摯に褒めようとする専門家もいますが、その後の指導・助言の伝え方が、保護者の子育てを反省に導く材料になってしまうこともあります。専門家のところを訪ねることがかえってストレスとなってしまい、子育てにも良い影響は出ません。

これまでの保護者指導は、低年齢の子どもを対象とした行動改善の方法に重点が置かれたものであり、保護者の日常生活や負担等についてあまり重要視されませんでした。こうした過去の反省から、最近では、保護者の負担軽減を念頭に、保護者が取り組みやすい内容や子どもへの関わり方を自分に合った形で選定できるように丁寧な支援を行う専門家が出てくるようになりました。

専門家の一方的な価値観や決め付けによる指導・助言が保護者の大きな心労になるといった反省によって、かつての「親指導」から今日の「保護者支援」という考え方へと変化してきています。プレイルーム等での親子の遊びの場面では、子どもへの関わり方を専門家から一方的に指導され修正されるのではなく、子どもの興味・関心を引く素材や遊びを見つけ出し、専門家と保護者が一緒になって遊びを楽しめるような場をつくり出しています。さらに、指導・助言の前に保護者が抱えている様々な心情に寄り添い、じっくりと話を聴こうとする態度が保護者支援の重要な要素となっています。

専門家による保護者支援とはいったいどのようなものなのでしょうか。私が思うに、まずは、子育てに関する有益な情報を提供できること。そして、種々の情報を整理しながら優先順序を付けたり取り組みやすいものを探し出すお手伝いをすること。選択肢を提案しながら一緒に進んでいこうとする道案内役になること。子育ての同志として一緒に道を歩もうとしてくれる人となること、でしょうか。これらに加えて、保護者が自ら選択していこうとする力、活用していく力を信じながら話をじっくり聴こうとする姿勢でしょうか。

〇保護者同士が集う会
保護者支援のひとつとして、親同士が出会い交流できる場を設けることで、親同士の相互支援が生まれる効果が期待されます。話し合いでは、グループファシリテーター(司会・進行に加え、参加者の気持ちや考え等を引き出しながら深めていく役割)を保護者が担っている会もあれば、専門家もしくは保護者と専門家が協働しながら担っている会もあります。「さえぎられることなく何でも話せる場」が大切であると考えている会や、「何でも話せることは大切であるが、一定のルールのもとでファシリテーターが進行していきながら話しを深めていく方が実りは大きい」と考える会まで様々にあり、話し合いの方法にも違いがあります。明確な線引きは難しいのですが、後者の会の運営では専門家がファシリテーター役を担うことが多いようです。

保護者の背景は様々ですし、現在持ち得る知識量の違いや、これまで受けてきた専門家の助言等も異なるでしょう。そうした違いを前提にした話題づくり、情報や知識の整理、辛い気持ちになっている人がいないかどうかの確認、他にも配慮は必要です。親が集う場で、他の親からの安易な助言によって傷ついてしまうことがないよう注意する必要があります。話し合いに一定のルールを設けているのもそのためです。また、集いの日時の設定によっては母親のみならず父親の参加も期待できますし、さらに、保育支援があれば安心して親子で参加することが可能になります。また、母親グループ・父親グループといった目的別のグループ分けによって、親役割としての新たな気づきや学びが深まることがあります。このように、親が集える場が相互支援をつくり出す契機となっています。

大阪では、「吃音のある子どもを持つ親の座談会」や「大阪吃音親子の会(とまり木の会)」等が親同士の集う会として活動をしています。

〇きょうだい支援
疾病や障がいのある子ども(同胞;どうほう)の疾病や障がいがどんな状態なのか、それらはやがて治癒(ちゆ)、寛解(かんかい)していくものなのか、今後も付き合っていかなければならないものなのか、そのために必要となる治療や医療的ケア、教育的支援に保護者はどれくらいの時間や労力を費やさなければならないのか等、個々の家庭の事情や保護者の受け止め方、対処は様々でしょう。

家族の一員である同胞の兄弟姉妹(きょうだい)も保護者と同様に同胞の疾病や障がいに向き合い、理解しようとしながら生活をしています。通常、同胞の疾病や障がいについての説明は、主治医等から保護者になされます。主治医等から直接きょうだいに説明がなされる場合がありますが、多くの場合は保護者を通じてなされます。保護者は、きょうだいにきちんと同胞のことを説明する必要があることを分かってはいながら、そのための手立てや実際にどのように伝えていけば良いのか、その術を誰からも聞かされていません。やったことが無いことですから躊躇されるでしょうし、(もうしばらく様子を見よう)と思っているうちに月日が経ってしまったという声を聞きます。

同胞に対する疑問や質問が、きょうだいから保護者になされることもあるでしょう。答えを準備していない保護者にとって、きちんとした説明ができないまま不本意に終わってしまうことがあります。きょうだいゆえに抱えてしまう心情や将来への不安等に配慮しながら、保護者と専門家が協働しながらきょうだい支援を進めていく必要があります。ここでは吃音のある同胞のきょうだいに焦点を絞って、きょうだい支援について考えていきましょう。

吃音のある子ども(同胞)に対して吃音の正しい理解を伝えていくことは最も重要なことであることは前に述べた通りです。それは、保護者に対しても同様です。保護者がわが子の吃音を全く気にしていない場合であっても、本人が吃音を出したくないと考えているなら気を付けて話そうとしていくでしょう。やがては話し辛くなります。だからこそ吃音のある同胞に、吃音を伴いながら話し続けていくことの意味を説明します。そして、周りの人達にもそのことを伝える意味を説明します。

最も身近にいる周りの人、それがきょうだいです。きょうだいに吃音についてきちんと伝えておく必要があります。相談機関や診療の場に同胞が訪ねてくる際に、きょうだいが付き添って来ることが少なくありません。こうした場で、吃音の正しい説明を専門家がきょうだいに直接行うことも重要です。

吃音に関してきょうだいに尋ねてみることを皮切りに、同胞の吃音について日頃どう思っているのか、吃音を伴って話せる環境を作り出すために、きょうだいにも力になって欲しいということを直接伝えます。吃音のある人の支援者のひとりとして力を貸して欲しいという希望を伝えるのです。そうした経験の積み重ねが、同胞が困るような場面に出くわしたときに、きょうだいの視点から気づくことができ、解決策を考えていくための心強い味方となってくれるでしょう。そこまでの後押しを保護者と専門家が行っておくことで、吃音の理解を広めるためにきょうだい自らが動き出してくれるかもしれません。

吃音のある同胞ときょうだいが吃音の理解を広めるために協働していく関係をつくり出していくためには、吃音の説明をきょうだいにきちんと行うことはもちろんですが、それだけで十分ではありません。日頃、保護者のまなざしが同胞に向きがちであるときょうだいは感じていないか、寂しさを感じていないか、親の対応にきょうだい間で違いがあると感じていないか等、きょうだいの心情にしっかりと向き合い、問いかけながら気持ちを表現してもらうことが重要です。

「あなたは吃音が無いんだから(同胞を)助けてあげてね」といったお願いを先行させるのではなく、まずは、きょうだいの心情にまなざしを向けようとすることです。同胞の吃音を同胞のものだけに留めてしまうことがないよう、きょうだいが自分事として考えてくれるようになるための必要な取り組みです。それができれば、きょうだいも保護者と共に身近で心強い支援者のひとりとなってくれることでしょう。

◆堅田利明(かただとしあき)
関西外国語大学短期大学部 准教授/言語聴覚士/教育学博士
京都教育大学・言語聴覚士専門学校の非常勤講師を兼任。
大阪市立小児保健センター言語科を経て大阪市立総合医療センター小児言語科で25年間、哺乳・摂食機能、言語・聴覚・コミュニケーションで来院される本人やご家族、きょうだいへの支援に携わる。その他、神戸の肢体不自由児支援学校2校での摂食指導スーパーバイザーや大阪市教育委員会特別支援教育専門家チームアドバイザーを務める。
主な著書:『こどもの吃音症状を悪化させないためにできること-具体的な支援の実践例と解説』海風社,2022、『特別支援を難しく考えないためにー特別支援が子ども達の心に浸透するように』 海風社, 2011、『キラキラ どもる子どものものがたり』 海風社, 2007、『子どもがどもっていると感じたら-吃音の正しい理解と家族支援のために』(共著)大月書店, 2004.



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■ 連載:食物アレルギーとわたし
             第3回 手探りでスタートした小学校生活
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7.新しい出会い
入学式を5日後に控えた4月2日、私は娘と病院の診察室にいました。
ヨーグルトを食べてじんましんが全身に広がったのです。特にひどかったのは、目の周りでした。入学式にはクラス写真も撮るのでショックでした。

私はこの日、ある決断をしていました。給食のピーナッツ対策を医師に相談すること、そして、ピーナッツをさわることまでが本当に駄目なのか、検査をしてもらうことでした。
わずかな期待を抱いていた私に返ってきた答は、
「検査はできません。危険です」
「どうすればいいんですか」の問いに
「給食にピーナッツが出る日は休めばいい」との答。
「それではあまりにもかわいそうです」と私が言うと、
「保健室で一人で食べればいい」との答え……。
そして最後に別の病院を紹介されました。その病院は自宅から車で1時間は優にかかる別の市の専門病院でした。

その3日後、学校の方に動きがありました。養護教諭の先生から電話が入ったのです。入学式の日、「同じクラスの方だけですが、教室で娘さんの症状について話していただけませんか」と申し出て下さったのです。
私は考えました。小学校の入学式は既に3回経験しており、どれだけ慌しいか、どのような状況であるかはだいたい承知していました。どうすれば伝わるかを考えた時、ある一つのアイデアが浮かんだのです。
それは手紙でした。すぐ主人に協力してもらい手紙作りに取り組みました。入学式の前日に出来上がりました。

入学式の後、教室でその手紙を配り、私は話しました。式で緊張を強いられた子供達に負担がかからない様に要点を絞って。実はこの時、もう一人障害を抱えるお子さんがみえたので、話したのは私一人ではありませんでした。私はこの時もドキドキで、何をどう話したのかよく覚えていません。でも、この時も真剣に見つめる目があったのです。

そして、4年後の今でもその時私が配った手紙を保管し、温かく対応して下さるお宅が何件かあることを、私は娘から知らされました。つい最近のことです。

医師から見放された私達を救って下さったのは、そうした方々だけではありませんでした。
入学式の翌日、娘の給食対応法について話し合いの場が持たれました。参加したのは、担任の先生、新しい栄養士の先生、発注担当の先生、養護の先生、そして私でした。
今までの経緯を全て話し、医師から言われたことで、どうすればいいのか思い悩んでいることも話しました。栄養士の先生からはピーナッツの含まれる給食メニューと気をつけなければいけないことを専門的な分野から教えていただきました。いろいろ話を進めていくなかで突然担任の先生から、「お母さんが一緒に食べて下されば安心です」との一言、私は信じられませんでした。実は私もそれが一番良い方法と思ってはいたものの、前例がないだけに難しいと勝手に諦めていたのです。

もちろん私は飛び付きました。それくらいうれしいことでした。そしてこの話し合いのなかで先生方が大切にして下さったのが、「子供の気持ちを一番に考えること」だったのです。
前途多難なスタートではありましたが、私達はこうしてまた前に進むことができたのです。
実はこの春、もう一つの大切な出会いがありました。それは医師です。専門医との出会いは、入学から1ヵ月後のことでした。

8.給食スタート
4月11日、学校から4月分の給食資料が届けられました。
全校に配られる給食献立表のほか、材料のグラム数まで記入された材料表とアレルギー対応用の原料配合表です。今でも毎月いただいてチェックし、対応に活用していますが、初めていただいた時はその細かさに目が眩みました。ショックだったのは、その4月のメニューにピーナッツがあったことでした。
不安と焦りが交錯するなか、14日給食がスタートしたのです。

これが想像以上に大変でした。何か起った時原因を掴み易くするために、疑わしいメニューは全て作るようにしました。こうなるとご飯以外はほぼ全て作らなければいけなかったのです。前の日から準備し、朝からメニューと格闘の日々……3歳の息子にエプロンを引っ張られながらも余裕がなく、作ることに必死だったこともしばしばでした。給食に似せて作ったお弁当3人分を手に、3歳の子の手を取って教室に向かいました。先生が娘の横に私達の席を用意して下さいました。
時には似せたつもりのメニューが全然違うこともありました。でも娘も息子も文句を言うこともなくおいしい、おいしいと食べてくれました。

困ったのはお弁当が足りなかった時。私の分も2人に分けるのですが、それでももっと欲しいとぐずり出す息子。一年生の教室では、まずきちんと座って食べることを指導してみえるのに、好意で入れさせていただいている私達が足を引っ張ってはいけないととても神経を使いました。
カレーシチューの日も私はピリピリでした(ルウにピーナッツバターが入っていることがあるのです)。娘と友達の間に私が入り息子と挟むような形で食べました。表面的には平静を装いはしたものの、カレーのいっぱい付いた手で歩く子供達のなかで食べさせるのは本当に怖かったです。

そして迎えたピーナッツあえの出る日。栄養士の先生からは、「粒子が大きいから飛びにくい」とは言われていましたが、不安は消えません。私が教室に行くと、娘は一人みんなと離れたところに座っていました。ピーナッツから娘を守るため先生が配慮して下さったのです。ところが本人は悲しそうな表情で俯いていました。私が娘と話すことになり、守るための対処であることも再度伝えました。頭では彼女もわかっているようでした。でも心は隠せないのが子供です。話していくなかで彼女が選択したのが、離れた所ではなく、みんなの近くで私と息子に挟まれて食べることでした。許せる範囲でみんなに近づけて食べることに先生も同意して下さり、子供達にも話して下さいました。栄養士の先生も見守りに来て下さいました。

こうしてピーナッツが給食に出る日も休むことなく、保健室で一人隔離されることもなく、みんなの中でみんなと一緒に食べることができたのです。もちろんこの日のメニューは調理段階での混入の危険があるため、全て私が作りました。

先生方の理解と、子供達の協力があってはじめて可能となった忘れられない出来事でした。小さな身体で一生懸命に友達を守ろうとしてくれた子供達、前向きに受け入れて下さった先生方に支えられ踏み出せた貴重な一歩でした。その思いを無駄にしないよう、私はこの時から今もピーナッツの出る日は、給食の見守りを続けています。

9.専門医との出会い
給食がスタートしてから1ヵ月後の5月17日、前の病院から紹介された専門病院を訪れました。実はこの時下見のつもりで出掛けていたので、紹介状も診察券も持っていませんでした。到着直前の「今日も受診したら。診察券と保険証は取りに行ってくるよ」との主人の言葉に、思い切って病院に相談してみることにしました。主人がこの病院に連れてきてくれたのはこれで二度目。一度目は来る途中で車がバーストしてしまい大変な思いをしていたのです。何とかその思いに答えれれば……そう願いながら返事を待ちました。

なんと病院側はOKして下さり、先生も戻ってくるまで待って下さるとの返事でした。主人はすぐバスと電車を乗り継ぎ、紹介状と保険証を自宅に取りに戻ってくれました。その間の約3時間半、私は下3人の子と病院に残りました。長いこの時間ですが、子供達にとっては楽しい飽きのこない時間でした。大量の絵本、積木等子供達の大好きな物がいっぱいありましたし、レストランはアレルギー表示がしてあり安心して利用することができたからです。彼らを見守りながら私は娘のいままでの経過をメモに書き留めました。そして主人の到着と共に診察室へ呼ばれたのです。

先生とはこの時初対面。すぐ書き留めたメモを見せながら話をすると、穏やかな口調で答が返ってきました。まずピーナッツのアナフィラキシーについて話されました。落花生を割った時粉が舞って危険であり、節分の豆まきの時、落ちている落花生を踏んでアナフィラキシーを起こした子がいること、カレーはルウにピーナッツバターが入っていることがあり、注意が必要であるうえ、よくアナフィラキシーを起こす子がいること、給食の対処の仕方はそのまま続けることが大切であり、注意しすぎるくらいが良く、またそうすることが大切であり必要であることを教えて下さいました。そして「とりあえず今はピーナッツの負荷テストは行いません。それよりも先にやっておくことがあります。まず牛乳の負荷テストをやりましょう」とのことでした。

先生のお話では、卵・牛乳についてはあまりひどく出ない可能性が高いので、負荷テストで試してから増やしていきましょうとのことでした。大豆に関しては、調理後大豆そのものを避けて食べるだけであとは大丈夫でしょうとのことでした。これで給食で食べれるものが増えました。最後に万が一アナフィラキシーを起こしてしまったら、すぐ近くの病院に連れていくよう話されました。アナフィラキシーは少しでも早く処置を受けることが大切とのことからでした。
専門医との出会いは、その後の私達に大きな意味を持つことになるのです。

10.負荷テスト
負荷テストという言葉がよく出てきましたが、まずどういうものか簡単にお話しましょう。
1g食べて30分様子を診、大丈夫なようであれば2g食べて30分様子を診……というように少しずつ負荷を加えながら、どのくらいまで大丈夫なのか診断するものです。危険も伴なうこともあるので、必ず専門医のもとで行なうよう言われています。
娘は専門医のもとでこの検査を一つずつこなしていきました。

牛乳の負荷テストでは20ccまでは大丈夫なことが確認されました。検査途中までは何の変化もありませんでしたが、2ccに近づく頃から顔にプツプツができたり、目の下に1cm程の腫れが現われたりと変化が認められました。二カ月前、入学式の直前ヨーグルトでじんましんが出たのは、摂取量が多かったためで、食べられない訳ではないのがわかりホッとしました。2ccというのは本当にわずかな量ですが、パンやハム・ソーセージまたハンバーグのつなぎなど加工段階で使われている物も多く、みんなと一緒に食べられるメニューの幅が大きく広がりました。

続いて卵の負荷テストでは卵白を使いました。同じように1gからスタート、10gまで達した頃「お腹が痛い」と言い出しましたが、皮膚症状の変化はありませんでした。先生の指示で残り20gも試した後今度はどうにもつらそうに、「お腹が痛い。気持ちが悪い」と訴えました。薬服用後ベッドをお借りして休みました。先生からは卵と気づかない状態で少しずつ試してみて下さいと言われました。次の受診日までの1ヵ月半の間に、本人には卵だと伝えずに少しずつ負荷してみました。そうすると、何の変化も現われなかったのです。

娘は生後半年からアトピーがひどく、「卵は食べられない」と言われ続けてきました。卵という言葉に反応したのかもしれません。生卵以外はこうして食べられることが確認され、給食も食べられない物だけ代替品を作り、持たせるだけでよい日が随分増えてきました。

先生はそばの負荷テストもやって下さいました。前の病院では危険だからとやってもらえませんでした。そばとピーナッツはその症状の激しさが似ていますし、、重症化しやすいのも同じです。結果は大丈夫でした。それも「もっと食べたい」と先生にせっつくくらいで、先生に「後で症状が出ることもあるから今日はこれくらいで辞めておこうね。また今度作ってもらおうね」などと言われる始末。笑ってしまいました。学校を休ませ朝早くから負荷テストに必要なものを持ち、下の子を実家に預け一日がかりで専門医のもとに通うのは楽なことではありませんでしたが、大きな成果を上げることができました。そしてその成果により、娘と私の精神的な負担を随分軽くすることができたのです。
もちろん失敗を繰り返しながら……。

11.ピーナッツの検査が……
入学から半年近く経った9月25日に待ちに待ったピーナッツの検査が行なわれました。
ピーナッツバターを使ったパッチテスト、プリックテストでした。
まずパッチテスト。ピーナッツバターを塗った物をツルツルの腕に貼って一時間様子をみました。娘はお気に入りの積木で遊びながら時々掻こうとしました。それでも掻き続けることはありませんでした。先生に状況を報告、貼ってあった物をはがすと皮膚は少し赤くなってはいましたが大丈夫なようでした。

それから15分経過観察した後、プリックテストが行なわれました。
ピーナッツバターをほんのわずかだけつけた針を健康な状態の皮膚にチクッと刺すだけの検査でした。間もなく容体は急変しました。突然喘息発作が起こったのです。そのまま処置が始まりました。いつもと違う先生の表情がそこにありました。早い対応で回復に時間はかかりませんでしたが、ショックでした。先生のお話では身体に吸収された量はごくごくわずか。健康な皮膚状態の腕であれだけの症状を起こすということは、傷ついている部分であったり目の周りの薄い部分などであったらどうなっていたかわからないということでした。その後結果次第で経口投与も予定されていましたが、とても出来ませんでした。

今までひょっとしたらさわるぐらいは大丈夫かも……などと淡い期待も抱いていたのですが、この検査ではっきりとさわっても危険であることが証明されてしまったのです。私の精神的ショックは大きく、いつも次の日のメニューを前の晩に確認するのが日課だったのも忘れ、当日の朝間に合わず学校まで届けに行ったことが翌日の日記に記されています。

私は環境が変わる度に娘の経過を思い出しながらメモ書きし、わかってもらうために何度も何度も話してきていましたが、娘の成長と共にその内容も増えるので、卒園を前に五年手帳を購入し、そこに書き留めることにしました。そのアレルギー子育て日記も現在5年目となりました。病院受診の折はいつも持ち歩いていて、とても役に立っています。文章の途中から急にはっきりとした日付などが出てくるのはそのためです。

◆栗田洋子(くりたようこ)
食アレスマイルネット(愛知県岡崎市子育て支援団体・岡崎市市民活動団体)代表 絵本専門士
絵本を持っての食物アレルギー啓発活動に加え、絵本や絵本の読み聞かせの大切さを伝える活動にも力を注ぎ続けている。
絵本『ともくんのほいくえん』明元舎、『ピーナッツアレルギーのさあちゃん』ポプラ社
2017年度 筑波大学同窓会茗渓会 茗渓会賞を受賞
第75回 厚生労働省 保健文化賞を受賞(2023年)



■□ あとがき ■□--------------------------
初のコラボセミナーを開催します。講師は、理学療法士の仲村佳奈子さんです。身体の発達と運動学習の観点からお話をしていただきます。
レデックス×デジリハ コラボセミナー

10月から全国8箇所での2種類のリアルセミナーを開始します。
地域で発達に関して相談できる機関の紹介動画を公開しました。

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