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■ 連載:器用な子ども、不器用な子ども
■□ コラム:映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』
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■ 連載 乳幼児に大切な運動って?!
第3回 器用な子ども、不器用な子ども(最終回)
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第1回、第2回では、乳幼児期には運動遊びが大切だという話をしてきました。最終回の今回は、器用・不器用について考えてみましょう。体を活発に動かす運動遊びでは、ボール遊びや縄跳びなどがすぐできるようになる子どもと、なかなかできない子どもがいます。前者は器用な子ども、後者は不器用な子どもと言えるでしょう。例えば、器用な子どもは、縄を跳び始めると、すぐに前とびができるようになり、「できた!」という有能感を得て、もっと跳べるようになりたいと、さらに縄跳びを続けて行なうことで、跳べる回数も多くなったり、よりスムーズに跳べるようになります。一方、不器用な子どもはうまく跳べないため、縄跳びに苦手意識を持ち、諦めてしまうのです。跳ぶことを諦めてしまうと、縄跳びを上達させることは難しくなります。
子どもは「できた!」という有能感を感じることで、この有能感が自信となり、再び挑戦しようという意欲を引き出すことができるのです。6歳までの子どもの神経系の発達が90%程に達することから、乳幼児期は運動コントロール能力の発達の敏感期だと言われています。この時期に大脳の神経細胞のシナプスが過剰に形成され、不要なシナプスが消滅する「刈り込み」が活発に行われ、神経回路が柔軟に変えられます。
これらの点を踏まえると、子どもが自発的に楽しめる運動遊びを通じて、2歳から6歳までは「動きの獲得の時期」と言われており、多様な動きを経験することで、シナプスに多くの情報が書き込まれ、運動神経のよい子どもに育つと考えられます。
自分が意図として行う動作のことを随意運動といいます。随意運動は、大脳からの動作に合わせた指令を筋肉に伝えることによって起きるため、無尽蔵の動作のパターンが考えられます。例えば、「箸を持って物をつかむ」といった動作も随意運動のひとつになります。子どもや外国人が箸を使って食事をすることは、初めは難しいですが、繰り返し練習することで上手に使えるようになります。運動も同様で、なかなかできない動きも繰り返し行うことでできるようになります。器用な子どもはその回数が少なくてもマスターし、不器用な子どもは回数が少ない場合はマスターするのは難しいということなのです。多様な動きを習得するためには、繰り返し経験することが求められるのです。
幼児期に不器用な子どもが基本的運動技能の経験が少ないまま経過してしまうと、大人になったときに運動への苦手意識を引きずってしまう可能性があります。そして、児童期や青年期のスポーツ活動でうまく楽しめない場合があります。器用な子どもでもある種の運動に苦手意識を持つ子どもはいます。ただ、器用な子どもは苦手意識を持っても、その運動に取り組むとすぐにできるようになります。
私の大学のゼミ生で、水泳の授業でなかなか合格がもらえない学生がいました。その学生が「私泳げないの」というので、泳げるように援助してあげようと思い、一緒にプールに行きました。すると、その学生はプールでしっかりと泳いでいます。私が「泳げるじゃない」と声を掛けると、「えっ、このレベルでは泳げるって言わないの」と返答がありました。彼女は私の泳ぎを見て笑顔になり、苦手意識を払拭したようで、後日合格タイムで泳ぎきり、無事に科目単位を取得できました。実はこの学生、某種目で日本代表になったこともあります。「流石!身体能力が高い学生は違うな」と感じました。
子どもの話に戻しましょう。「器用な子どもと不器用な子どもの保育曲線」を示したものがあります。初期の段階で器用な子どもはその動きが高い水準に到達しますが、不器用な子どもは停滞したままです。できないからと初期の段階で諦めてしまったら、その動きを習得することはできません。諦めないでその動きを繰り返し経験することで、中期の後半から後期にかけて動きが高い水準に達しているのが分かります。
※器用な子どもと不器用な子どもの保育曲線
具体的には、不器用で逆上がりができない子どもの場合、「できた、できなかった」という評価だけでなく、初めは蹴り上げた足が地面から10cmしか上がらなくても、そのできた部分を褒められることで、また次の日も挑戦してみようという意欲が沸いてきます。諦めずに繰り返すうちに、少しずつ蹴り上げる高さが伸びて、「足がだいぶ高く上がるようになったよ」「しっかりと鉄棒を握っているね」など、できるようなった運動の側面を含めて評価することが大切なポイントになります。寄り添っている大人から肯定的な応答をもらうことで、子どもは少しずつ「自分でもできるんだ」という有能感を感じ、積極的に挑戦するようになります。最終的には到達目標水準に達し、逆上がりができるようになるのです。
大人や保育者が一緒に寄り添い、時間をかけて、その経験を増やしてあげることが大切です。これにより、子どもは多様な運動機能を獲得し、その後の運動技能をスムーズに洗練することができます。できないから諦めてしまうのではなく、粘り強く挑戦できるように大人が援助してあげられるといいですね。
子どもは身体発達に応じて、様々なことができるようになります。子どもが発達に応じた運動遊びをすることで、何事にも意欲的に取り組む力が培われていきます。子どもが「やりたい」という気持ちを大切にし、できるだけ制限を減らして、多様に且つ豊富に体を動かす機会を保障してあげましょう。
【引用文献】:近藤充夫『幼児のこころと運動』教育出版, 1995,pp.40
◆土井 晶子(どい あきこ)
学校法人藤村学園 東京女子体育大学・東京女子体育短期大学
こどもスポーツ教育学科(保育内容研究室)
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■ コラム:本や映画の当事者たち(11)
映画:ぼくが生きてる、ふたつの世界
“きこえる世界”と“きこえない世界”を行き来する青年の成長物語
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今回11回目となる不定期での連載です。
今回は映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』です。
この映画は9月20日(金)から公開されます。
ストーリーはこんな感じです。
宮城県の小さな港町に暮らす五十嵐大の家族は、塗装職人の父・陽介(今井彰人)と優しい母・明子(忍足亜希子)、破天荒な祖父・康雄(でんでん)と祖母・広子(烏丸せつこ)。ほかの家庭と少しだけ違っていたのは、父と母の耳がきこえないこと。幼い大にとっては、手話を使って大好きな母の“通訳”をすることも、背後から来る車から母を守ることも、“ふつう”の楽しい日常だった。
小学生になると、母が友だちのお母さんとは違うことを意識するようになっていく。「お母さんのこと、恥ずかしい?」と母に尋ねられて答えられない大。
中学生では、反抗期も加わって、外で母を見かけると避ける日々。不機嫌な態度で接し続け、母に合わせることが理不尽だと手話すらも使わない。やがて将来を考える時期を迎え、受験の現実を知らない母には相談できないと諦めて、ひとり高校受験の勉強に励み出すが、志望校に落ちてしまうと、抱えていたやり場のない怒りをぶつけて母を傷つけてしまう。「全部お母さんのせいだよ! 障害者の家に生まれて、こんな苦労して!」
20歳になった大は、“耳のきこえない親を持った可哀そうな子”という偏見を感じながら、パチンコで時間を潰す。そんなとき、父から東京へ行け!と背中を押される。 “ふつうの人”になれる大都会・東京の街で、パチンコ店のバイトをしながら過ごす。そんなある日、小さな編集プロダクションを面接で訪れた大は、ふと吹っ切れて開き直り、誰にも語ることのなかった元バクチ打ちの“蛇の目のヤス”こと祖父の話や地元でパチンコ漬けだった自分のことをさらけ出す。すると編集長・河合(ユースケ・サンタマリア)は「最高じゃん」と即、採用を告げた。書く仕事と向き合いながら、次第に大は、コーダ※であることもさらりと言える心境になっていく。
※コーダ(CODA):Children of Deaf Adults きこえない、またはきこえにくい親を持つ、耳の聞こえる子供
吉沢亮演じる主人公、五十嵐大は“きこえる世界”と“きこえない世界”を行き来しながら、生きている。耳のきこえない父母を守らなくてはと思いながらも傷つけてしまう……。そんな葛藤の中で成長してきた大がさまざまな人とふれあい、自分の居場所や記憶の底に隠れていた母への想いを見出していく。
この作品は、呉美保監督の9年ぶりの長編作品。モントリオール世界映画祭最優秀監督賞、キネマ旬報ベスト・テン1位ほか数々の賞に輝く『そこのみにて光輝く』(2014)、『きみはいい子』(2015)などの作品で国内外にて高く評価される呉美保監督が、俳優・吉沢亮を主演に迎え、9年ぶりに長編監督作品を送り出す。
原作は、コーダという生い立ちを踏まえて社会的マイノリティに焦点を当てた執筆活動をする、作家・エッセイストの五十嵐大氏による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)。
主人公・五十嵐大を演じるのは、映画『キングダム』(2019,22,23,24)シリーズや主演を務めた大河ドラマ「青天を衝け」をはじめ、多彩な役柄に挑戦し、俳優としての可能性を広げ続ける吉沢亮。「母の変わらぬ愛に応えられない葛藤を抱えつつ、夢を見つけられずに探りながら今を生きる等身大の若者の心を繊細に演じた。
大の両親を演じた忍足亜希子、今井彰人をはじめ、東京で大が親しくなる人々など、ろう者の登場人物はすべてろう者の俳優が演じている。
呉美保の演出はとても自然で、良質なドキュメンタリー映画のよう。この映画に出てくる人はみな素朴で温かく、自分の身近にいる人を思い起こさせる。映画を観ながらいつの間にか自分の父母のことを思い出し、愛情をもって育ててくれたことを思い出していた。人間は、どんな環境にあれば幸せなのか、家族とは? 親子とは?と考える。
大の父が言う「どんな家族にだって何かしらあるのでは」という言葉に同意しながらも、祖父母や叔母も含め、大の家族はとても温かく、たくさんの愛情を注いでいる。ラストも素晴らしく、胸をぎゅっとつかまれたようで、感動が自然体で湧いてくる。ひとりの青年の成長を観客も共に見守る作品になっている。
エンドロールが流れると、自然と涙が頬を伝わってきた。泣かせる演出などほとんどないのに。呉監督の以前の作品『きみはいい子』でも、淡々とおこる日常生活を描きながら、虐待の連鎖という重いテーマをサラッと描いていた。
呉監督の満を持してのこの作品。様々な人に観てもらいたい。コーダという特殊な生い立ちの青年を描きながら、母の愛やそれに応えようとする息子の葛藤、一般社会の家族にも通じるものだと思う。この映画を観て、懐かしい家族を思い出してもらいたい。
■公開表記: 9月20日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
■配給:ギャガ
コピーライト: 五十嵐大/幻冬舎 2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会
監督:呉美保 脚本:港岳彦 主演:吉沢亮 出演:忍足亜希子 今井彰人 ユースケ・サンタマリア 烏丸せつこ でんでん
原作:五十嵐大「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)
企画・プロデュース:山国秀幸
◆はら さちこ
ライター。
編集制作会社にて、書籍や雑誌の制作に携わり、以降フリーランスの編集・ライターとして活動。障害全般、教育福祉分野にかかわる執筆や編集を行う。障害にかかわる本の書評や映画評なども書いている。
主な編著書に、『ADHD、アスペルガー症候群、LDかな?と思ったら…』、『ADHD・アスペ系ママ へんちゃんのポジティブライフ』、『専門キャリアカウンセラーが教える これからの発達障害者「雇用」』、『自閉症スペクトラムの子を育てる家族を理解する 母親・父親・きょうだいの声からわかること』『発達障害のおはなしシリーズ』、『10代からのSDGs-いま、わたしたちにできること』などがある。
■□ あとがき ■□--------------------------
次回は、8月9日(金)の刊行予定です。