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■ 連載:自閉スペクトラム症の初期症状
■□ 連載:支援と育成を分離させる必要性とは?---------------------------------------------------------------------------------------------------
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■ 連載:教育・心理的支援において診断基準をどう読むか・理解するか
第3回 自閉スペクトラム症の初期症状(自閉スペクトラム症・3)
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医師の先生方にとっての診断基準と、教育関係者や心理支援職にとっての診断基準は、もちろん同じものですが、その意味はかなり異なるように思います。
今回のシリーズでは、2013年に発表されたDSM-Vについて、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、限局性学習症の3つにおいて見逃されがちなポイントを含めて解説していきます。
初回は自閉スペクトラム症の診断基準の概要、前回は「重症度」を教育・心理的支援の場でどう考えるかを考えました。今回は、基準Cの「初期症状」を具体的に考えつつ説明を加えながら考えていきましょう。
1.神経発達症群の大前提
いわゆる発達障害は、DSM-Vでは、神経発達症群(Neurodevelopmental Disorders)としてカテゴライズされています。神経発達症群は、人生の早期と小児期、具体的に言えば乳幼児期(場合によっては学童期)に示されるものであることが大前提となっています。
※注 以下、DSM-Vから抜粋
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神経発達症群とは、発達期に発症する一群の疾患である。この障害は典型的には
発達期早期、しばしば小中学校入学前に明らかとなり、個人的、社会的、学業、
または職業における機能の障害を引き起こす発達の欠陥により特徴づけられる。
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この大前提があることで、例えばADHD(注意欠如多動症)は青年期後期から成人期に初めて気づかれる症例をADHDとしていいのか、あるいは遅発性が存在するのか、また気が付かれなかっただけなのかという論争にもつながっています。発達症は小児期に発症することが条件になっていることを、もう一度考える必要がありますね。
2.「発達早期に存在していなければならない」
※注 以下、DSM-Vから抜粋
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基準C. 症状は発達早期に存在していなければならない(しかし社会的要求が能力の限界を超えるまでは症状は完全に明らかにならないかもしれないし、その後の生活で学んだ対応の仕方によって隠されている場合もある)。
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自閉スペクトラム症は、神経発達症群の最初に掲載されている疾患(障害)です。
神経発達症群の大前提が当然適用されますので、小児期に発症が確認されることが重要になります。考えてみれば、自閉症がはじめて報告された論文として有名な Leo Kanner の1943年からの一連の論文でも「早期幼児自閉症」など"早期"であることが強調されていたのですから、これは当然なのかもしれません。
早期、というとどの程度の早い時期を示すのでしょうか。
早期が具体的にどの程度の時期を指すのかは診断基準では明確に示されていません。何か月から診断が可能ですよ、という表記もありません。
これは診断される医師の考えにもよるでしょうし、子どもの特性によってはわかりやすい場合もあれば、わかりにくい場合もあるかと思います。
初期症状は、診断基準には欠かせない項目なのですが、具体的には明文化されておらず、その様子は、非常に分かりにくいようです。
〇初期症状
私も小さなお子さんにお会いして、あるいは保護者の方から小さい時のお話を伺う機会が多くあります。この30年間、臨床的に得られた語りから得られた初期症状についていくつか紹介してみましょう。
1)アタッチメント行動の独特さ
(1) 抱っこされるのが下手
お母さんたちが振り返ってよくおっしゃるのは、「抱っこしにくかった」ということです。抱っこされていても体を密着させてこない、重心を相手に合わせないので「丸太を抱いているみたいだった」「とても重かった」ということです。赤ちゃんは上手に、抱っこしてくれる相手の動きや体に合わせていくものなのですが、自閉スペクトラム症の赤ちゃんには、どうも抱っこが下手なタイプがいるようです。抱っこは、赤ちゃんから発動するアタッチメント行動のホールディング(holding)にあたります。かなり初期から自閉スペクトラム症の子どもが示す症状の一つです。
(2) 「育てやすい」あるいは「育てにくい」
自閉スペクトラム症を持つお母さんたちがよくおっしゃるもうひとつのことは「育てやすかった」あるいは「育てにくかった」ということです。
「育てやすかった」というのは、あまりいろいろ要求してこなかった、ということです。赤ちゃんは自分の不快な状態を解決すべく、周りに様々な信号を送り周囲のアタッチメント対象に不快を除去して快に至るのですが、そういう場面では、泣いたり、視線を送ったりするのが代表的なアタッチメント行動になります。それが、あまり信号を送ってこない、よく寝てくれるので、手がかからないということです
「育てにくかった」というのは、突然火が付いたように泣き出すけれど、どうして泣いているのかわからない。おむつを替えても、授乳してものけぞって泣いている。子どものメッセージが理解できない、ということです。
赤ちゃんの泣きで表現されるメッセージが必ずしもわかりやすいものではないことはよく知られています。しかし、赤ちゃんがどうして泣いているのかわからない、というのは、母親にしてみれば「自分が悪いのではないか」という子育てへの自信低下につながることもあり、養育困難を自覚する契機にもなります。
2)Joint Attention 行動がみられない
Joint Attention 行動というのは「相手と興味を共有する」ための行動のことで、見る(Looking)、見せる(Showing)、指差し(Pointing)、ジェスチャー(Gesture)、渡す(Giving)などが代表的なものとして知られています。これは、診断基準 Aの(2)に示される「対人的相互反応で非言語的コミュニケーション行動を用いることの欠損」に示されます。
具体的には以下の特徴があります。
(1) 指差しをしない
幼児ははやくて7~8か月ごろから、指差しをします。なにかを欲しい時ややってほしい時の要求の指差し、身近な人物と興味関心を共有しようとする叙述の指差し、など様々な呼び方がありますが、相手に何かを伝えるための指差しは1歳前後にかなり有効なコミュニケーション手段になっていきます。自閉スペクトラム症のお子さんは、指差しを全くしない、しても要求の指差しだけ、ということがよくあります。これは幼児期にみられる現象で、成長してものちのちまで指差しをもたないお子さんもたくさんおられます。
(2) 見せに来ない(Showの欠損)・渡さない(Giveの欠損)
子どもはおとなに、よく「見て、見て!!」と言いますね。何かを持ってきておとなにみせる。みなさんも「見て見て」な子どもに付き合って・・という経験をお持ちではないでしょうか。自閉スペクトラム症のお子さんは、初期の段階からあまり「見て見て」を言わない、と言われています。見せに来ない。自分の行為を「見ててね」と言わないというのです。また、持ってきたとしても渡さない。相手にあげたりしないとも言われています。
(3) ジェスチャーが少ない
自閉症の子どもは、幼児期から、人によっては成人に至るまでジェスチャーを用いることが少ないと言われています。
3)言語発達の遅れ、歪み
言語発達は、診断基準A(1)相互の対人的―情緒的関係の欠落で説明されます。
(1) 言語発達の遅れ
保護者が子どもの発達が気になりはじめるのは、「ことばがでてこない」ことが最も多いのではないでしょうか。定型発達であれば1歳前後に初語(始語)が見られるはずなのに、なかなかその一言が出てこない。1歳半検診でも数語しかでてこない。なかなか語彙が増えていかない。
言語発達は、非常に可視性が高い事項である一方、個人差も大きいことも知られています。
アタッチメント行動や、2)Joint Attention 行動で示したような初期兆候は、ちょっとわかりにくい場面もありますが、言語が育たないということになるとこれは大きな気づきにつながります。ところが、言語発達の個人差、いわゆる早い・遅いについては、ちまたでは「男の子は言葉が遅いものよ」とか「お父さんも奥手だったから大丈夫よ」などという保護者への声掛けが流布されているので、これもかえってわかりにくくなってしまいます。
4)社会性の発達
少し育ってきて、保育園や幼稚園という集団に入るようになると、遊びの独特さが目立つようになります。
(1) つもりあそび、ふり遊び、ごっこ遊び
自閉スペクトラム症のお子さんは、あまりつもり遊び、ふり遊びをしないとも言われています。
ブロックをトマトに見立てて食べるふりをする、お母さんのつもりになって遊ぶ、のような遊びがなかなかみられないと言われています。発展してごっこ遊びにもつながらない。見立てて遊ぶ、という事は苦手のようです。園生活でも、着ぐるみを異様に怖がったりすることも見られます。
(2) 一人遊び・併行遊びが主
あそびは、ひとりで遊ぶ一人遊びから、何人かが近くで自分の遊びを行う併行遊び、数人が協力して遊ぶ共同遊びなどに発展していくと言われています。ところが、自閉スペクトラム症のお子さんは、一人遊びのままだったり、いつまでも併行遊びまでで止まってしまう、みんなの遊びには入ってこないというような様子も見られます。
この外にも初期兆候はたくさんありますが、代表的なところはこんなものでしょうか。
3.初期症状のアセスメント
では、こうした初期症状は保護者の気づき、あるいは保育者の気づきにお任せするしかないのでしょうか。なにかアセスメントの方法があるのでしょうか。
初期症状をアセスメントする方法として代表的なものに日本語版M-CHAT(乳幼児自閉症チェックリスト:Modified Checklist for Autism in Toddlers)があります。M-CHATは、上述したアタッチメント行動やJoint Attention 行動を中心的な指標として用いており、1歳6か月~7か月の段階のお子さんに使用することができます。まさに1歳児検診の前後には有効な手法であると言えます。親記入式の質問紙であり、知的な遅れを伴わない自閉スペクトラム症のチェックが可能なために、個人差の大きい言語発達のみに頼らない早期発見に有効であると言われています。
M-CHATについては以下のサイトなどを参照してください。
4.初期兆候に気づくことの効用
初期兆候に早めに気づくことにはどのような効用があるでしょうか。
自閉スペクトラム症は、広汎性の障害であることから、人生早期に気づかれ、その症状や特性の多くは、人生にわたって保持されていくと言われています。症状そのものの治療的意味での効用、ということであれば、ちょっと難しい気もします。
しかし、早く気が付くことで、周囲がうまくかかわることができますから、例えばこだわり行動等の同一性保持をひどくこじらせなくてすむ、ということはあるでしょう。そういった意味でもかなり早期に気づくことは効果的な支援につながると思われます。また、早く気付くことで、保護者の方も子どものわかりにくい行動を、育てにくさとのみとらえずに、意味を考えることができ、受容的に関わることができるでしょう。
メルマガであることに甘えて、すこし自分のエピソードをご紹介します。
私には今でも強烈に記憶されている3歳の頃の場面がふたつあります。
私の2歳下の妹は強度行動障害、知的障害をともなう自閉スペクトラム症で小さいころから入所施設にお世話になっています。
妹が生まれて、母はずいぶん困っていました。激しく泣いているけれどどうして泣いているのかわからない。どうして笑っているのかわからない。かといって、あまり母を呼んだりしない。目も合わないし、こちらも見ない。抱っこされるのを嫌がる。触られてもあまり感じないように見える。追いかけてこない。自分を必要としていないように見える。まさに子どもからのアタッチメント行動が発動されないので、どうしたらいいのかわからなかったようです。
ある時、いつものように赤ちゃん(妹)の世話をしている母に、3歳の私はトコトコ歩いていって、母の背中にペタッとくっつきました。母はその時、妹をあやしたり、くすぐったりしていたようでしたが、背中にくっついてきた私をふっと振り返り、いきなりわきの下をくすぐりました。くすぐったくて「きゃあっ」と声を上げた私をじっとみて、母は「ほら、ふつうは笑うわよねえ・・・」と顔色も変えずにつぶやいたのです。その時のことは、たぶん私はそれからも何度も思い出したのでしょう。だから強烈に記憶されたままになっているのだと思うのです。これがひとつめの記憶です。
妹は、1歳程度だったと思うのですが、どんなにくすぐっても笑わず、母のスキンシップを一切受け付けませんでした。母乳が足りないのではないか、自分が精神的に落ち着かないから子どもに伝わっているのではないか。
周囲からも親の愛情が足りないと指摘されることも多く、保健所での健診でも「愛情不足」といわれたそうです。保健所からの帰り、自転車に子ども二人を乗せて3人乗りをしながら、帰り道の間中、ずっとずっと声をあげて泣いていました。妹は前の座席でご機嫌に声を上げて体を横に揺らしている(常同運動ですね)。母はずっと派手に泣いて、縦に揺れている。後ろの座席の私は、自転車がぐらぐらと揺れるのが怖くて、怖くて、きっと私は、自転車が倒れて、脇の田んぼに落ちて死ぬのだなあ、と思っていました(笑)。今でも青々とした水田を見ると、きれいだな、と思う反面、ちょっと怖いです。これがふたつめの記憶です。
早く母に「これは自閉スペクトラム症ですよ。初期から他者にあまり関心のないタイプもいますよ。アタッチメントの取り方が独特なのでわかりにくいですね。お母さんの愛情不足ではないですよ。ちょっと独特なやり方を受け入れていきましょう。」などと言ってくれる人がいたら、母はどんなに救われたでしょうか。そして、小さな私も、母のそんな背中や、死の恐怖に(大袈裟ですねえ(笑))怯えることもなかったかもしれません。
もちろん、前の時代の、神経発達症があまり知られておらず、自閉スペクトラム症がまだ心因論(養育者等の関わりが主たる原因とする考え方)だったころのおはなしです。
現在、母子保健の場は、神経発達症の知識を必須とし、私が経験したようなことはもちろん、もうありません。また、幼稚園や保育園、子ども園などの保育の場は、発達症の学習、研修は最も行われている現場のひとつでしょう。
しかし、初期兆候を把握することの意味は、あまり変わっていないように思います。
診断基準にはあまり深く書かれていませんが、初期兆候は、自閉スペクトラム症の正確な判断に欠かせない一方、正しい理解に基づく関わりの一歩として、非常に重要な視点である、と言えると考えています。
今回は、診断基準で示す初期兆候について説明しました。
◆吉田 ゆり(よしだ ゆり)
長崎大学教育学部・教育学研究科 教授。専門は発達臨床心理学。公認心理師、臨床心理士、臨床発達心理士、そして保育士でもある。
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■ 連載:発達障害の凸凹、死角となりやすい二次障害とは?
第6回:支援と育成を分離させる必要性とは?
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皆さん、こんにちは。
■ 連載:発達障害の凸凹、死角となりやすい二次障害とは?
第6回:支援と育成を分離させる必要性とは?
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皆さん、こんにちは。
※イイトコサガシ・ワークショップ ■ ■
※冠地情の発達障害プロフィール
※講談社から拙著(漫画)が出ていますので、よろしければご参照ください。
年明け早々、私は幸運に恵まれました。
以前から交流させていただいている研修講師(主に親の会や行政機関…土日祝日はほぼ研修で埋まってしまう方)とフリートークできることとなったのです。
そこで私は当然の如く(?)
「コミュニケーションの生き辛さについての問題提起」
をさせて頂いたところ、その講師の方から
「冠地さんの懸念はもっともだと私も思います…というのを大前提にして、少し違ったお題(切り口)で議論してみませんか?」
と提案されました。
そのお題とは…
「結局、退化硬直してしまった発達障害者…総じてコミュニケーションに生き辛さを抱えている人たちは、何らかの福祉・医療の枠組みで支援を受けることになる、ということではないのか?」
ぜひぜひ皆さんも読みながら、一緒に考えてみてくださいね!
■では、なぜ80:50問題が起こるのか?
さすがにいきなり上記の反論をしてしまったら、違う切り口で議論する意味がありませんので、もちろん既存の支援がストッパーに成り得た事例からお互い、話を進めていきました。そして頃合いを見て私は静かに支援が支援になりにくい、なりえないわかりやすい事例を切り出します。
「色々な支援機関でコミュニケーションのプログラム(自己肯定感回復や生き辛さのワカチアイ等を含む)をしているわけですけど、見学の人って支援に成り得てますかね?」
支援の入り口には成り得ている、と思いますが…
・では、ずっと見学の人は?
・挙手せず、参加せず(ほとんどパス)に人の話を聞いているだけの人は?(もしかしたらその場にいるだけの可能性がある人は?)
・当たり障りのない発言、発表しかしない人は?
有効な経験値になっていると言えますか?
支援の目指している成果に少しずつでも近づいていると言えますか?
上記が私の感じている現場感覚です。
全国を回った、1100回以上イイトコサガシ・ワークショップを試行錯誤してきた実感です。
あくまで私の経験則に限定された話ではありますが…
見学だった人が徐々に参加し始めて、ついには積極的な参加者になった!
というパターンはかなり甘く見積もっても5%前後です。
ほとんどのケースは
・一度見学して終わり(二度と参加しない)
・ずっと見学
・見学から参加に移行するもほとんど挙手がない(パスが基本)
そして付け加えるなら、積極的な参加者はほとんどいない、というのが私の実感。
ほとんどが消極的な参加者…
気の向いた時だけ、自分の言いたいことだけ発言する、参加ギリギリのラインを目標にしている人が多い、と。
なぜこのような状況になりやすいのか?
それが今回のタイトル『支援と育成を分離させる必要性とは?』
につながっていくわけです。
現状の支援という枠組みですと…
・専門のプログラムを提供、紹介しています
・同じような立場の人が集まる場を創っています
・専門家が上記を仕切っています
これで合格点かどうかはともかく、及第点を取れてしまう?
というのが私の想像です。
【え? 支援の中に育成も含まれるのでは?】
本来ならば含まれるところですが、現実には難しい事情が横たわっている、と。
積極的な参加を促すと…
自分のやる気で参加してね、と声掛けすると…
支援プログラムに来なくなってしまう人が多い、というのが私の実感。
下手をすれば通所自体を取り止めてしまうこともあります。
就労移行支援機関などは通所人数が減れば、収入が減ります。
公的な支援機関であっても、通所人数を減らすくらいなら見学でもよいから通所してほしい、というところがほとんどだろうと私は推測します。
イイトコサガシ・ワークショップのように
「パス、見学はなし!大丈夫です、試した時点で大成功!」
なんて言おうものなら、心のシャッターをガラガラガラ、と閉じてしまう人が多いからこそ生き辛い、と。
積極的に参加して当たり前、自分でやる気になるのが当たり前、という正論で上手く行くなら苦労はないわけです。
しかしながら、退化硬直している発達障害者をやる気にさせるのが支援者の義務・責任なのでしょうか?支援者の腕の見せ所なのでしょうか?
それが物凄く困難だからこそ、ほとんど不可能に近いからこそ現状がある、というのが私の実感です。
少なくとも私は(支援者ではありませんが)無理です、無理でした。だからこそ、前回のレデックス・メルマガで書かせて頂いた
「発達障害者に必要な助走と準備のプロセスとは?」
のような建設的対話育成インフラが急務!と再三、皆さんに問題提起しているのです。
※ このコラムは過去のコラムと連動していますので、よろしければ併せてお読み頂ければ幸いです。
【家族と支援者はココで利害が一致する?】
そしてこの問題には更なる困難が重なります。
そう、家族の問題です。
家族からすれば、せっかく支援機関に通所してくれたのだから継続してほしい、ニート・引きこもりには戻ってほしくない…
という思いがあります。
もちろん積極的に参加してほしいし、自分のやる気で参加してほしいですが、それでプログラム不参加・通所取り止めになるのはもっと困る…
という家族がほとんどというのが私の実感。
家族同士でいがみ合って、ただただ溝が深く広がるばかり…
とならないように耳の痛い話は専門家に任せたい、という気持ちもわかります。
わかりますけど、残念ながらほとんどの場合、上手く機能していないのが実情(私の知る限り)なのです。
【そして退化硬直してしまった発達障害者の本音は?】
・なんとなく
・よくわからないけど
・いつのまにか
成長できたらよいな、経験が積めたらよいな、という人がほとんど、というのが私の実感。
そしてなるべく負荷をかけたくない、都合の悪い現実は見たくない、話したくない、と。
※発達凸凹の固定は思考停止の顕在化が原因?
※思考停止をさらに掘り下げるなら
だからこそ
・明確な目的意識…ではなく、なんとなく
・具体的な支援計画…ではなく、いつのまにか
・建設的な自己理解からの目標設定…ではなく、よくわからないけど
となりやすいわけです。
はい、ここで支援者、家族、退化硬直してしまった発達障害者の落とし所がハッキリしましたね?
見学、パスをおおらかに認める形、耳の痛い提案(積極的に参加して、等)は極力しない形になりやすい、と。
そしてその弊害もハッキリしましたね?
見学・パスが正当化され、問題が抽象化され、どんどん本質がわかりにくく埋没していく、ということです。
このお題(切り口)を出した研修講師は結論としてこう言いました。
「現状では建設的コミュニケーションのできる人、意欲のある人だけが支援の対象になっているということですね」
【なので支援と育成を分離しましょう!】
見学・パスばかりの人にはその人に必要な育成プログラムにまず参加してもらい、見学・パスばかりになってしまう要因を解消してもらいましょう。
育成の目的は経験を積むこと、能力を育てることなので見学・パスは基本的に「なし」となります。
その代わり、ダイバーシティ・スモールステップを基本にしますよ…
という落とし所が現時点での私の、最適解となります。
※これからはダイバーシティ・スモールステップ!
【やる気はどうするの?】
やる気も育成するんです!(笑)
自分でやる気になって、意欲育成プログラムに参加する…
恐らくココをスタート地点にしないと見学・パス問題解消は難しいかな、と私は思います。
【え? でも建設的コミュニケーションの必要性は?】
私が直近で成果(ワークショップ中)を実感している言葉を紹介しますので、参考にしてくださいね!
「でもみんな、精神論・根性論を強要されるの、嫌だよね?
社会の物差しがさも正論という前提でお説教されるの、嫌だよね?
俺も上記はしたくない…これは本当に。
だから見学・パスの理由、話し合おうよ。
どうしたら参加しやすくなるか、話し合おうよ。
お互いが歩み寄りやすくするために、建設的なコミュニケーションが必要だと俺は思うんだけど、みんなはどう?」
最後に厳しい現実の話をします。
※この問題提起の緊急度が高いことをわかって下さい!
私がこのような問題提起をした時の話です。
「大体ね、企業の人に
『私からは質問がない前提で…誰にでもわかるように説明をして下さい』
って発達障害者、言いますか?
言わないよね、自分が超イメージダウンするだけだから。」
お互いに分かり合おう、歩み寄り合おうとする姿勢が大切、という話をしたら
すかさず、発達障害者の就労支援を専門にしている方から
言うと思います、意外とあるあるですよ?
と言われたので、カチンと来て、
「でもその人、その企業に就労できないでしょ?」
と返したらあっけらかんと
「そうでもないです。
企業もとりあえず雇用すればいいみたいな考えだし(障害者の法定雇用率を守れればいいや、ということ)」
もうね、私が最低ラインと思っていたところが、まるで機能していないわけです。
更にその支援者のフォローにならない言葉が続きました。
・就労支援機関は専門家が少ないし…
・そもそも障害の有無に関わらず、できてない人が沢山いるし…
・そもそも管理職の人達もできてないし…
コミュニケーションの生き辛さと可能性に取り組み続けて14年目の私、これを聴いてボロボロになりました。
※色々な人と色々な話題で試行錯誤してみよう。
皆さん、もっと支援と育成の本質について、建設的に議論しませんか?
◆冠地情(かんち じょう)
不登校・ひきこもり・いじめ・発達障害の四冠王だったと語る、イイトコサガシ代表。
全国各地でいいところを探し、互いに応援するワークショップ&講演会等を43都道府県で1000回以上開催、10000人以上が参加。
合言葉は「試した時点で大成功!」
NHK「ハートネットTV」「バリバラ」に出演。
嫌われる・孤立する・批判される勇気を武器に、文字通り生き辛さ界隈の異端児。
あすぴれんとテレビでYouTube番組「人間臭さTV」を放送。
東京都狛江市のラジオ局コマラジ・第四火曜日正午~13時のアフタヌーンナビにレギュラー出演。
東京都東久留米市のラジオ局くるめラ・第一火曜日18時~19時の超イイトコサガシ宣言でメインパーソナリティ。
■□ あとがき ■□--------------------------