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■□■ 新連載:少年が自分の人生を決めていくために
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■□ まえがき ■□--------------------------
■ まえがき
■□ 特別寄稿:依存症は「孤立の病」~アディクションの対義語はコネクション~■□■ 新連載:少年が自分の人生を決めていくために
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■□ まえがき ■□--------------------------
昨年9月に実施された第28回脳の世紀シンポジウムで講演をお聞きして、強く感銘を受けた松本俊彦先生からのご寄稿を掲載させていただきます。
読者の皆様には「〇〇依存の人を救う」「〇〇依存を減らす」という視点から、松本先生の文章を読んでいただければと思います。シリーズ:子どもゆめ基金のデジタル教材では、一般社団法人HOMEおかえり が開発した非行少年向けのデジタルコンテンツについて、同法人代表理事の赤平若菜さんから3回連載で紹介していただきます。
■ 特別寄稿:依存症は「孤立の病」~アディクションの対義語はコネクション~
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人はなぜ薬物依存症になるのでしょうか?
人はなぜ薬物依存症になるのでしょうか?
まさか。
たとえばアルコールはれっきとした依存性薬物であり、多くの人が使用経験を持っていますが、そのアルコールの初体験はどんなものだったでしょうか? 脳をハイジャックされるような、めくるめく快感を体験しましたか?
まさかまさか、ですよね。
アルコール依存症を発症した人でも、「最初は酒の味はわからなかったし、うまいとも思わなかったが、酒の席の雰囲気が好きで、無理して飲むようになって……」と後年に述懐するものです。ヘロインやコカイン、覚せい剤も同様です。意外にもそれらの初体験は、通常、「少しだけ不快な感覚」で終わります。
要するに、1回でも薬物をやったら依存症になるというのは明らかに嘘なのです。事実、WHOの調査では、薬物使用経験者のうち依存症に罹患するのは約1割にすぎないことが明らかにされています。
では、なぜ一部の人だけが依存症になるのでしょうか?
40年前、カナダの心理学者、ブルース・アレキサンダー博士は興味深い実験を行いました。
まず、雌雄32匹のネズミをランダムに、居住環境の異なる2つのグループに分けました。一方のネズミは、1匹ずつ狭い檻のなかに(「植民地ネズミ」)閉じ込め、他方のネズミは、16匹雌雄一緒に広々とした場所に入れました(「楽園ネズミ」)。植民地ネズミは、他のネズミといっさい交流できない環境ですが、一方の楽園ネズミは、広場の所々に遊具など置かれ、ネズミ同士で自由に遊んだり、じゃれ合ったりできました。
アレキサンダー博士は、これら2つのグループのネズミに対し、ふつうの水とモルヒネ入りの水を用意して与え、57日間観察しました。そして、どちらのグループのネズミの方がよりたくさんのモルヒネ水を消費するのかを調べたわけです。
その結果、植民地ネズミは、檻のなかで頻繁かつ大量のモルヒネ水を摂取しては、日がな一日酩酊していたのに対し、楽園ネズミは、他のネズミと遊んだり、じゃれ合ったり、交尾したりして、なかなかモルヒネ水を飲もうとしなかったのです。
この実験は、「なぜ一部の人だけが依存症になるのか?」という問いに対するヒントをくれます。そのヒントとは、依存症になりやすい人とは孤立している人、しんどい状況にある人なのではないか、というものです。
このことはとても重要です。1980年代半ば、米国の精神科医エドワード・カンツィアンは、依存症発症のメカニズムとして「自己治療仮説」という理論を提唱しました。彼によれば、「依存症の本質は快感ではなく苦痛である。そして薬物使用を学習する際の報酬は、快感ではなく、苦痛の緩和である」と述べました。先ほどのネズミの実験と見事に符合するとは思いませんか?
自己治療仮説は、私自身の臨床経験に照らしてもしっくりときます。これまで私が出会った薬物依存症患者はみな、困難に過剰適応し、苦痛や苦悩をコントロールするために薬物を使っていました。
もちろん、最終的には、薬物自体が持つ依存性に脳がハイジャックされ、自分をコントロールするために用いてきた薬物に、気づくと自分がコントロールされていました。そして、もはや薬物使用のメリットよりもデメリットの方が上回っているにもかかわらず、薬物を手放せなくなっていました――そう、まさに依存症の状態です。
くりかえしますが、彼らは快感を求めて薬物を使っていたのではありません。薬物のない状態が苦しくて使っていたのです。
薬物の歴史は人類と同じくらい古く、両者は密接な関係にあります。そして、アルコールやニコチン、カフェインといった身近な薬物はもちろん、ヘロインやコカイン、覚せい剤のような強力な依存性を持つ薬物でさえも、それが発見された当初、神聖なもの、あるいは医薬品として大切に使われていた時代がありました。
ところが、ある時期より国際社会は協力して、一部の薬物についてその使用や所持を犯罪として、厳しい刑罰の対象としました。約60年前の話です。しかし最近になって、こうした厳罰政策が失敗であり、かえって当事者と社会を苦しめている可能性を示唆するエビデンスが数多く出てきました。
いくつか列挙してみましょう。第一に、厳罰政策を開始して以降、世界中のあへんやコカインの生産量は、それ以前とは比較にならないほど激増しました。第二に、薬物犯罪で刑務所に収監される者が激増し、新たに刑務所を建設するために巨額の税金が投入されてきました。第三に、薬物の過量摂取による死亡者、および薬物使用を介したHIV感染者が激増しました。そして最後に、違法化によって反社会勢力が密売をするようになり、巨利を得た彼らは、もはや各国政府の力では対処できないほど巨大な組織になってしまいました。
以上のエビデンスは、本来、人類の健康と福祉の向上を目的とした厳罰政策が、皮肉にも人類の健康と福祉を損ない、社会安全を脅かす事態を招いたことを示唆します。
それだけではありません。厳罰政策は、薬物依存症を抱える当事者の回復を妨げてもいます。事実、最近わが国で行われた研究は、覚せい剤取締法事犯者は刑務所により長く、より頻回に入るほど、将来の再犯リスクが高まること、そして、刑務所に入るたびに依存症がより重篤化してしまうことを明らかにしています。
今日、国際的には、依存症は再発と寛解をくりかえす慢性疾患と見なされています。治療中の再発は最初から想定内の経過であって、むしろ治療を深めるために重要な機会と考えられています。さらに、依存症治療の成否は、どの治療法を選択するかではなく、いかに長く継続するかにかかっています。事実、同じように断薬できないのであれば、治療を継続している患者の方が、逮捕回数や平均余命、社会的機能の点で勝っています。
しかし、残念ながら薬物依存症は治療中断率が非常に高く、特に再使用をきっかけとした治療中断が目立ちます。理由は明らかです。正直に再使用を告白したら医療者が警察に通報するのではないか、通報されないにしても軽蔑されるのではないか、たとえ軽蔑されなくとも、自分が惨めで恥ずかしくてとても医療者に顔向けできない……そう思うからです。
厳罰政策の問題点はここにあります。薬物使用の犯罪化は、当事者を孤立させ、治療や支援から遠ざけてしまうのです。
先ほどの実験には続きがあります。
アレキサンダー博士は、檻のなかですっかりモルヒネ依存症になってしまった植民地ネズミを1匹だけ取り出して、楽園ネズミのいる広場へと移し、さらに観察を続けたのです。
すると、まもなくその植民地ネズミは楽園ネズミたちとじゃれ合い、交流するようになりました。それではありません。やがて植民地ネズミはいつしかモルヒネ水を飲むのをやめ、楽園ネズミたちの真似をして、ふつうの水を飲むようになったのです。
この実験結果は、薬物依存症から回復に何が必要なのかを教えてくれます。それは、孤立していない環境、人とのつながりです。
あるいは、こういいかえてもいいでしょう。アディクション(Addiction: 依存症、酒や薬に溺れた状態)の対義語は、ソーバー(Sober: しらふの状態)でもクリーン(Clean: 薬物を使っていない状態)でもなく、コネクション(Connection: 人とのつながり、孤立していない状態)である、と。
知っておいてほしいことがあります。
依存症患者が「クスリをやりたい」と告白するのは、「薬物の欲求を何とかしたい」からです。「やってしまった」は「生き方を変えたい」、「やめられない」は「助けてほしい」という意味です。
そして依存症からの回復に必要なものは、「やりたい」「やってしまった」と正直に告白できる場所――そう告白をしても、誰も不機嫌にならず悲しげな顔もしない安心・安全な場所、叱責や説教ではなく、専門病院や民間リハビリ施設、自助グループの情報を提供してくれる場所、さらには、本人のみならず、家族にも相談窓口を教えてくれる場所です。
私は、わが国の社会がそのような場所であることを願っています。
◆松本俊彦
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長
1993年佐賀医科大学卒業。その後、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。さらに2017年より国立精神・神経医療研究センター病院 薬物依存症センター センター長を併任。
日本精神科救急学会理事、日本社会精神医学会理事、日本学術会議アディクション分科会特任連携委員、NPO法人八王子ダルク理事、NPO法人東京多摩いのちの電話顧問。
近著として、「薬物依存症」(ちくま新書, 2018)、「誰がために医師はいる~クスリとヒトの現代論」(みすず書房, 2021)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社, 2021)
■ シリーズ:子どもゆめ基金のデジタル教材
新連載 :少年が自分の人生を決めていくために
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ご縁があり2019年度と2020年度に、子どもゆめ基金(独立行政法人国立青少年教育振興機構)にて、非行少年に特化した2種類の教材※の開発を行いました。
おかげさまで、全国の少年院や自立支援施設、大学の学生等へ、開発したDVDを配布し、多くの方々に視聴してもらうことができました。
※教材は下記でご覧ください。
※ご希望の方にはDVDを無料で郵送します。下記フォームよりお申込みください。
(申し込みはこちら>>)
このような結果だけをピックアップすると、さも順風満帆の人生のように思われるかもしれませんが、笑うしかないほどに、波乱万丈を経験、体験してきました。
今回はこのような機会をいただいたので、つたない文章で恐縮ですが、ご拝読頂けると嬉しいです。
・私の子どもが少年非行に?
個人的なことではありますが、私はシングルマザーで5人の子どもを育てています。
子どもたちを食べさせていくために、朝も夜もなく働き続けていました。立ち止まって考える暇などなく、ただ毎日を必死に過ごしていました。
そんな中、高校生になったばかりの息子がいきなり非行という道に方向転換してしまったのです。私にとっては青天の霹靂でした。
息子にはしんどい思いをさせていることは分かっていましたが、その反面、私のしんどさも理解しているだろうと勝手に思っていました。
真面目で優しい子だったので当時は信じられませんでしたが、今思うと、少し前からその気配があったような気がします。
幼少期から競泳をしていたのですが、高校に進学してからはコーチと意見が合わず、あれほど打ち込んでいた競泳をやめてしまったのです。
それまでは、休日は試合や練習という毎日をおくっていた息子でしたが、いきなり暇を持て余すようになりました。
髪型が変わり、眉毛が細くなり、身なりが変わり・・帰宅するのも徐々に遅くなりました。
その度に、私は叱ったり、話をしたりと向き合ったつもりでしたが、息子とは心が通っていないように感じる日々が続きました。
・なぜ?なぜ?の連続の毎日
私は自分を顧みずに「これだけ子どものために働いているのに、どうしてこんなことになるのだろう?どうして伝わらないのだろう?」
私は怒りを通り越し、哀しみの気持ちが大きくなっていきました。
当時、児童虐待のケースワーカーとして勤務していた私にとって、息子の非行は自分の仕事への情熱に陰りを落とすだけではなく、自信を喪失させるには十分な破壊力がありました。
なぜ?なぜ?
答えが無いのにそれを探し回っているような感覚でした。こんな状態がいつ終わるのか?早く終わって欲しいと、願うしかありませんでした
・歩み寄れない親子関係
私が歩み寄れば息子が離れていく。息子が歩み寄れば私が距離を置いてしまう(無意識に)そんなちぐはぐな関係が続いていました。
今、考えると私もいっぱいいっぱいで素直になれていなかった。多分、息子も同じだったと思います。お互いにもどかしかったと思います。
今思うと、父親が不在だという寂しさや、自分自身の埋められない感情を素直にぶつけていたのかなとも思います。
ただ、本当に当時は苦しかったです(汗)
落ち着いて考えることができる今だから、自分に余裕ができた今だからこそ、そう思えることなのかもしれません。
・怒りと哀しみがもたらしたもの
正直にいうと、私も息子に負い目がありました。生活のために働き詰めだった私は、妹、弟たちの世話を長男にお願いすることも多々ありました。
「自分がしっかりしなきゃ」というプレッシャーも感じていたはずです。「両親は何で離婚したんだ?」という怒りもあったはずです。
だからこそ、私は息子としっかり向き合わなければならないと決めました。どんなことがあっても絶対に見捨てないと。
私に対し、本気で反抗して牙をむく息子に、私は決意を新たにしました。
・まとめ
今となっては、落ち着いて思い出すことができますが、それでも、当時のことを思い出すと涙が溢れてきます。
しかし、間違いなくこのような経験、体験があったからこそ、現在の活動につながっているとも言えます。
当時は、現在の活動を目指していたわけでも、望んでいたわけでもなかったので、人生の不思議を感じています。
◆赤平若菜
一般社団法人HOMEおかえり代表理事
2012年 保育士として勤務2014年4月~2020年3月 うるま市役所児童家庭課 家庭児童相談員(嘱託職員)
2018年8月 一般社団法人HOMEおかえり設立
2019年4月 子どもゆめ基金教材開発事業受託
2020年4月 子どもゆめ基金教材開発事業受託
2020年7月 日本財団 子ども第三の居場所事業開始
2021年4月 行政受託 子どもの居場所事業開始
■□ あとがき ■□--------------------------
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