母親として発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を広めたい

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2016.06.24

母親として発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を広めたい

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■ まえがき
■ 新連載:母親として発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を広めたい
■ 連載:聴覚障害のある子を育てる: 子どもの障害を受容する
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──■ まえがき
今回から新たに発達障害のあるお子さんの保護者の方の連載が始まります。
母親が自分の子供が他の子供となんとなく違うことに気がついても、周囲の人は、専門家も含めて十分な判断ができるレベルの知識や経験がある人は多くありません。そんな中で、著者はお子様に必要な情報を求めて、仲間を探し、子育てをするだけでなく、同じような境遇の他の親の支援をしようと取り組まれた経験をご紹介いただきます。

──■ 新連載:母親として発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を広めたい
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発達凸凹の子供を育てるお母さんを臨床家に育てたいという取り組みを2年前に始めました。様々な療育団体で、あるいはフリーで、それぞれ10年程セラピーを担当する臨床家や医師でもある母親4人が中心です。また、それぞれのクライアントであった母親たちが、新たに臨床家としてのキャリアをスタートさせています。

この取り組みは、療育エージェンシーでスーパーバイザーを務める2人の母親から始まりました。親として、子育てを取り巻くいろいろな場面、とりわけ受診や療育で嫌な思いをしてきたことが原点です。発達凸凹の子供について、知識を付けなければ、大切な時期に適切なケアを受ける機会を逃してしまうかもしれないという不安もありました。ちょうど、療育を安価で手軽に受けられる教室が急増しているものの、またまだクオリティが置き去りになっているのもおかしいと感じたことが立ち上げのきっかけになりました。

お母さんお父さんが療育の知識をつければ、にわかに増えている療育ビジネスに騙されることもないし、特定の療法や臨床家に依存する必要もなく、医師やいろいろな療育の専門家や教師と良い関係を築くことが出来るようになります。

また、療育スキルが必要なのは、幼児期だけではありません。就学後の小学高学年、中学生、青年期もあらゆるステージで対応方法が身についている親御さんとそうでない場合とは、家庭での問題解決に差が出てきます。

乳幼児期に発達について気になるところが指摘され、母親自身が我が子の発達凸凹に気付くケースが増えて、幼児期の子供達をターゲットにした療育ビジネスが盛んになってきていますが、玉石混交で、むしろスキル不足の若い臨床家が量産されているのが現状です。安かろう、悪かろうと言われる広域ビジネスや高額な寄付が必要なマインドコントロール的な療育団体もあり、倫理的に危うさを感じることもあります。

一方、幼児期の療育を専門家任せにせず、自ら学び療育スキルを専門家並みに身に付けて行くお母さんも増え、そういったママのパワーは、診断されたばかりで不安になり、孤独の中で育児に奮闘しているお母さんたちの心に一番響きます。

療育スキルをプロ並みに身に付けて行くお母さんたちは、お子さんの発達に向き合うために、ご自身の仕事のキャリアを諦めた方も多く、必死ですし、優秀です。

発達凸凹への気づき、診断出来る医師を探す苦労や保健センターや公的療育への失望、社会の無理解に晒されることへのストレス、そこから立ち上がる勇気、小さな発達の変化への喜び、夫や姑への説明、教師をおだてて味方を増やすこと、こういった全てをママ臨床家たちは、身をもって体験しています。それらは、貴重なキャリアであり、素晴らしい臨床家として多くのお母さんに対応していけると考えています。

今は、臨床家としてクライアントを担当出来るお母さんたちと、月に一度のケースミーティングと様々な方面の研修に参加し勉強を続けることで、クライアントの中からまた新しいお母さんセラピスト、スーパーバイザーを育成しています。

以下は、こころことばママプロジェクトメンバーの「あしたん」がママ臨床家になるまでの軌跡です。

何か違う。
生後2か月の第一子に感じた不安がだんだん大きくなり、区の保健センターに相談しましたが、様子を見ましょうというアドバイスしか貰えない中、母子手帳記載の発達の目安がどんどん当てはまらなくなっていきました。

私がいけないのだろうかと、赤ちゃん教室、ベビーマッサージ教室に通い、育児本を買い込み、読み漁りました。教育番組やその育児サークルやSNSからも積極的に情報収集するうち、自閉症では?という疑問が頭をよぎります。
大学院では、言語の発達や習得を専門にしていただけに、言語習得研修の定型に当てはまらないわが子の行動や喃語(なんご)※1の発達から、定型発達ではないという結論を心の中で持っていました。

※1 乳幼児が言語を獲得する初めの段階に発する音や声のこと。

5か月健診で地元の小児科医から、お母さん、赤ちゃん抱っこばかりしてるでしょう、だから運動能力育ってないんだよ、お母さんの責任だよと指摘され、大変失礼ながら、その医師への失望と、世の中まだまだ専門医以外は、診断が難しいんだろうなということがよく分かりました。その後周囲の人脈を駆使して専門医を見つけ、生後10か月で、広汎性発達障害という診断を出していただきました。

診断がつくと、気持ちが明るくなり、言語研究の知識や自身の行動力でどうにかこの子を最大限に発達させたいという目標が出来、すべてのことをポジティブに考えられるようになったことを覚えています。

まだ赤ちゃんだったわが子を抱え、大学病院や都内区内の公的な療育や民間の療育機関を回り、わが子を少しでも伸ばしてくれるところはないかと探しました。公的な療育機関では、あまりにもぬるすぎて、時間の無駄とさえ感じたり、民間の療育機関では、カルト的なところや高圧的なところ、とにかくマインドコントロールを仕掛けてくるところと多様で、社会勉強になりました。

そんな療育探しの中で出会ったのがABA(応用行動分析)※2でした。すでにわが子は3歳になっており、焦りましたが、母親の私が専門機関にセラピストとして入り、徹底的に学ばせていただく機会を得ました。スーパーバイザーとして活動できるようになり、月に20ケースも担当するようになったのですが、当時はまだABAはあまり知られておらず、ABAを肯定しない臨床家や医師も多く、新興宗教始めたの?とか民間療法?と、揶揄されることもありました。

※2 応用行動分析(Applied Behavior Analysis:ABA)は、学習心理学や行動心理学に基づいて生まれた、効果的に問題行動を減らしたり新しいスキルを教える方法論の一つです。発達に障害を持った子供だけに用いられるものではなく、誰にでも幅広く用いることのできる方法です。

ABAのスーパーバイザーとして活動を進めるとともに、遊戯療法※3、ポーテージ※4、TEACCH※5、太田ステージ※6、PECS※7、音楽療法※8、芸術療法※9、動物療法※10などの講習会に通い、一つの療法に拘らず、知る限りすべての手法の良いところを取り入れてやろうと貪欲に走っていきます。

※3~※10 療育手法の名称

わが子は通常級の小学校中学校に進み、同時に得意な音楽の専門教育を受けさせています。音楽の道を見つけるまでは、出来るだけ様々な体験を積み、わが子の能力を探り続けました。現段階では、音楽がわが子の生きる喜びになっていて、どうにか音楽を取り入れて社会で生きていく道を見つけえられればという目標ができました。

もちろん思春期の荒れもありますし、ほかの兄弟が障害のある子の、兄弟児としての問題を抱えることもありますし、私自身が夫のアスペルガーに悩み、カサンドラ症候群※10の症状が出ることもあります。こういったときも学んできた療育の知識でどうにか乗り越えてくることが出来ました。

※11 自閉症スペクトラム(ASD)のパートナーとの関係性に起因して悪化した身体的・精神的症状を表す言葉。

こういったことから親が療育的知識を身につけるメリットを感じています。
療育的知識を身に着けると、子供の癇癪にしろ、兄弟児の問題にしろ、夫婦間の問題にしろ、周囲の無理解な人たちへの対応にしろ、問題行動を分析して解決し、発達やものごとが良い方向に進んでいく様子が分かり、とても楽しいのです。

また、専門機関でスーパーバイザーとして働く中で疑問に思うことが多々ありました。ほとんどのABAエージェンシーでは、毎回のセッションのディテールを親に提示しませんので、結局、親は専門家に任せっきりか特定の専門家に依存することになってしまいます。研究成果としてデータを作るために、親にやり方を教えない主義のエージェンシーも存在します。そもそも親には教えても無駄であるとか、教えることにより会社組織としての収入を維持できないと考えるエージェンシーも存在します。もっともひどいと感じるのは、受給者証の利用を見込んで、未熟なスタッフを量産しても利用者は安い金額しか払わなくていいのでスタッフをしっかり育てるつもりもなく初心者ビジネスでたくさん初心者の利用者が入れ代わり立ち代わり来てもらう方が儲かると考える療育会社です。そういった会社は、スタッフに知識をつけすぎるとジョブホッピングしていくのでコストが無駄と考えていたりもします。そういった療育会社のスタッフは未熟すぎて、親御さんへの指導など出来るはずもありません。

親であり臨床家である私は、親にABAの細かいやり方やステップを教え、親御さんを教育して親御さんを臨床家くらいのスキルに伸ばした方がお子さんのために効果的と考えています。親を教育できるほどの臨床家でないと親御さんは満足できないのではという考えがだんだん強くなり、結局、エージェンシーから独立することにしました。

そんな中、出会ったのが、他所の療育施設でABAスーパーバイザーとして大人気のチー先生でした。チー先生もお子さんが二人とも自閉症で、10年以上ABAの臨床活動をつづけているという方で、ABAだけに拘らず、柔軟にいろいろな手法の勉強を継続していらっしゃるという勉強家です。しかもご主人がアスペルガー症候群というところ、ご自身の研究職のキャリアを捨てて自閉症療育の世界に入ったというところも私(あしたん)と共通するところがあり、意気投合。こころことばママプロジェクトを立ち上げることになったのです。

二人でスタートした「こころことばママプロジェクト」ですが、お互いのクライアントさんに、臨床心理士や医師であるお母さんたちが療育臨床家として活動を始め、4人が中心になって、さらにママ臨床家を増やしていく計画です。母親として、発達凸凹の子育てが面白い!楽しい!を伝えていきたいと思っています。

こころことばママプロジェクト
スーパーバイザー あしたん

 

──■ 連載:聴覚障害のある子を育てる
(第2回)子どもの障害を受容する
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前回は、私の息子が生まれてすぐに受けた新生児聴覚スクリーニング検査についてお話をしました。今回は、息子が聞こえていないという診断を受け、私自身がどのように息子の障害を受け入れていったのか、お伝えしたいと思います。

○親の立場から:確定診断を受けるまで
私は、産院でもらった紹介状を持ち、生後1週間の息子を抱え、総合病院の耳鼻科を受診しました。言語聴覚士の先生から説明を受け、乳児の聴力レベルを正確に診断することはとても難しいこと、また、これから何度か通院して、息子に睡眠薬を用いて精密検査を複数回実施すること、それらの結果をふまえて最終的な診断に至ることを知りました。私は、生まれたばかりの小さな赤ちゃんに睡眠薬を飲ませることにとても抵抗を感じたり、総合病院の広い待合室で赤ちゃんを抱え、長い間診察を待つことに苦痛を感じたりしながらも、「聞こえないかもしれないというのは、どうか何かの誤りであって欲しい」という一心で通院をしていました。

確定診断を受けるまでの3ヶ月ほどの間、自宅では息子が大きな音に反応するかどうか頻繁に確かめていました。ドアをばたんと閉めたら、息子がびくっと動いて反応した様子を見て「もしかしたら聞こえているかもしれない」と希望的観測を持ちました。今考えると、音は空気の振動によって伝わるので、振動を身体で感じただけだと冷静に判断できますが、当時はまったくそのようには考えられることができませんでした。そして、毎晩「明日の朝起きたら、息子が聞こえていますように」と祈りながら眠りについたりもしました。
エビデンスに基づいた科学である心理学に携わっているにも関わらず、神様仏様に祈りました。また、「もし聞こえないのだったら、どうしてそうなったのだろう。妊娠中に出張に出かけて切迫流産になったせいじゃないだろうか。あのとき私が出張に行かなければこんなことにはならなかったのに。」と自分を責める思いもありました。

そして生後3ヶ月頃、数回の精密検査の結果をふまえ、原因不明の先天性重度聴覚障害であるとの確定診断が下されました。言語聴覚士の先生から、身体障害者手帳の申請や福祉の制度による補聴器の購入手続き、ろう学校などの療育先の情報について説明を受け、手帳や補聴器の申請に必要な書類を依頼し、帰路につきました。帰りの車での中、私は「やっぱり聞こえていなかったんだ。ろう学校って何? 普通の学校に行けないのかな。これからどうしたらいいんだろう。」と大きな不安に押しつぶされそうになり、涙をこらえながら無言で車のハンドルを握っていました。

しかし、後ろの座席で息子を抱えていた夫は、こうつぶやいたのです。「耳なんか聞こえなくたって別にいいじゃないか。一緒に音楽を聞いたり歌を楽しんだりできないのは残念だけど・・・。そんなことはたいした問題じゃない。」と。夫は障害のある方の支援をおこなう仕事に携わっているからでしょうか、 障害というものの捉え方が私と夫はまったく違っていました。これまで障害のある方と関わった経験がほとんどなく、息子に障害があると知って大きく動揺した私にとって、夫のこの言葉は私自身の障害受容に大きな影響を与えました。

その後、私はこれまで未知の世界だった聴覚障害についての知識を深める努力をしました。聴覚障害に関する本や漫画をたくさん読みました。ろう教育や手話の複雑な歴史についても初めて知り、療育方法にも様々なものがあることを知りました。また、生まれてはじめてろう学校に足を踏み入れ、聴覚障害のある子ども達がとても元気よく明るく、いきいきと学校生活を送っている様子を目の当たりにし、ろう学校の先生の暖かい支援に励まされました。
ベビーサイン※や手話を学び、息子に声と手を使って話しかけました。息子に音の存在にも意識を向けてもらおうと、音が鳴りながら光ったり動いたりするおもちゃを集めて、息子と一緒に遊びました。 休日には聴覚障害のある子ども達が集まるサークルに姉も連れて参加し、聴覚障害のある子どもを育てている先輩ママから話を聞いたりしました。
※ベビーサイン まだうまく話せない赤ちゃんとサインでお話しする育児法
一般社団法人日本ベビーサイン協会の解説動画 (詳細はこちら>>

○心理学の立場から:聴覚障害を早期に発見する意味
近年、医療技術の目覚ましい進歩に伴い、さまざまな障害の早期発見や早期の適切な介入の重要性が主張されています。その一方で、新生児聴覚スクリーニング検査の普及によって、出生してまもなくという極めて早期の段階で、待望の我が子に聴覚障害があることを知った親は、その事実を受容することができるようになるまでに相当の苦難を感じることが多いことも事実です。

武居(2012)は、新生児聴覚スクリーニング検査で要検査と告げられた生後1週間の赤ちゃんを抱いて、ろう学校に泣きながら駆け込んで相談してきたというお母さんの事例や、確定診断がでた後、どのように子育てをしてよいか分からず、母乳が止まってしまったり、子どもをだっこできなくなってしまった事例を報告しています。親が子どもの障害をどのように捉え、受容するかという問題は、その後の育児に大きく影響を与える非常に重要な問題です。

発達心理学者のボウルビィは、 親と子の愛着関係を形成する上で乳幼児期は非常に重要な時期と位置づけました。この重要な乳幼児期に、我が子が聞こえない状態のまま、聞こえる親とのコミュニケーションに支障をきたす状態が長く続いた場合、子どもの言語発達はおろか、情緒、社会性、認知といった乳幼児の全体的な発達に対して大きな影響を及ぼしかねないことになります。

金山(2002)は、聴覚による情報受容の窓口が閉ざされている乳幼児にとって、親からの視覚的な情報とともに、触覚や温度感覚、抱擁などによるスキンシップは、言語手段以上に大切な情報受容手段であることを主張しています。

早期に聴覚障害を発見することによって、聞こえる親が音声言語だけではなく、手話やベビーサイン、身振りといった視覚的な手段やスキンシップを用いて赤ちゃんに関わることを早く開始できるようになります。さまざまな工夫をして、聞こえない子どもと聞こえる親との間のコミュニケーションを早く成立させることが重要です。親子間の情動的な交流や共感的な体験を基盤として、子どもの心と言葉が育まれていくことになります。

早期診断がなされた我が子の障害受容にとまどう親に対して、乳幼児期における分かりやすい適切な視覚的コミュニケーション環境を整えることの重要性を、早く理解してもらえるようなサポートが必要となります。また、このことと併行して、適切な補聴機器を用いて保有聴力を最大限に活用することも重要となります。

聴覚障害のある子を育てる親として9年間過ごし、今感じることは、基本的には障害のない子を育てることと同じである、ということです。丁寧に子どもと向き合い、季節折々のさまざまな体験を親子や家族で共有し、心を動かし、そこに言葉をのせていく。このことは、障害のない姉を育てたときと同じことでした。ただし、姉のときにはやらなかったことがふたつありました。
ひとつ目は、息子が見通しを持って行動ができるように意識して視覚情報を用いること。二つ目は、最新の補聴機器を最大限に活用し、より良い聞こえを保障すること。これらのことに対しては、聴覚障害児の親として特別に大きなエネルギーを注ぎました。

次回は、聴覚に困り感のある方にとって、大きな支援のひとつとなる補聴機器について、お伝えしたいと思います。

○引用文献
・ 金山千代子(2002) 母親法 --聴覚に障害がある子どもの早期教育 ぶどう社
・武居渡 (2012) 子どもの豊かな育ちのために いしかわ精神保健, 53,23-26.

金沢大学人間社会学域人間科学系
准教授 荒木友希子

 

──■ あとがき
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